2010年04月06日

旅の途中

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先日の土曜日、朝5時に起き従妹の結婚式に出席した。

常磐線、高崎線、秩父鉄道と乗り継ぎ、長瀞の少し手前で下車した。
陽射しは暖かいが、空気は冷たい。
先に見える武甲山の形がまた変わっていた。
良く見ると頂上まで螺旋が続いている。
まるでピラミッドだ。
切り出した石灰岩を運ぶ為のものなのか?
想像していると、父が『山の中を掘り、上から下に落としている』と教えてくれた。
ベルトコンベアーの長さは4キロとも。
何度か聞いた事のある発破を報せるサイレンの音を思い出す。


沢山いる従兄弟のなか私は最年長となる。
この日披露宴で両隣に座った従弟達とは20歳も離れているので、彼が着ている今どきのスーツもあり、話をしていると会社の新人との様になってしまった。

母方の田舎に来たのは、この日結婚した従妹の兄が結婚した時以来だ。
私はせいぜい5年位前の事と思っていたが、その兄と話をすると、8年も前の事だとわかり驚いた。
誰もかれもがしっかり歳を取っているわけだ。
そう、もちろん私もと言う事になる。

式が終わり、最近疲れやすくなった父の体調を整える必要もあって、母の実家に立ち寄る事となった。
その時、祖母と祖父はもういないと言う事が頭を過った。
今は家の前に叔父の経営する会社があり、回りにも家が立ち並ぶが、
私が小さい頃は目の前には畑が広がり、それは谷を作る荒川の川原まで続いていた。裏は山だった。
荒川の川原でも良く遊んだが、私は畑の用水路で良く泳いでいた。
山から直接流れる水はとても綺麗で、透明度が高かった事をよく覚えている。夜は螢が舞った。
今は建て替えられたが、その頃の家は土間もあり農家の家そのものだった。トイレは家の外にありもちろん落とし便所だ。
屋根裏では蚕が草を食んでいた。小さい私は蚕を眺めたり手にはわせたり、飽きずに屋根裏にいた。
記憶から桑の葉と蚕の匂いが蘇る。

疲れた父が寝ている間、私は叔父、叔母の集まる中にまじり雑談した。
そんななか、叔母の実家の近隣の方がなくなったと電話が入った。昨日会えて良かった、『隣り組』としてどうしたものか、と話をしている。


結婚式には乳飲み子から祖父、祖母の様な高齢の方まで、様々な年層の人が集まる。
乳飲み子、小学生、中学生、高校生。
結婚している人していない人。
子供のいる人いない人。
離婚した人再婚した人。
連れ合いがいる人亡くした人。
孫がいる人いない人。

私が歩んできた年層の人がいて、私が歩むだろう年層の人がいる。
同じになるかは判らない。
でも同じような事を考えたり悩んだりするのだろう。

幅広い先輩後輩。
親戚と言うコミュニティ。

私は成長しているのだろうか?
親戚とは人生に於けるヒントであり計りであり道しるべと言えるかも知れない。
時に言い訳かも知れない。


叔父、叔母達が『隣り組』の事で盛り上がっている。
父の目が覚めた。
駅までのタクシーを呼ぶ。
タクシーに乗り込むと最寄り駅まで行く筈が、父が熊谷までと言い出し、開口一番値段交渉を始めた。
距離を考えると明らかに安い金額。
しかし客などいない田舎のこの時間、運転手は了解した。
結果、運転手は5回程距離を調整していた。

父は常に値切る。
この母方の実家には東京からの砂利道をオート三輪で来ていたと言う。
仕事で来ていたわけだが、叔父叔母曰く目的は明らかに母親だったようだ。
昭和30年代の話だ。

この日の朝車窓から外を眺めていると、引き込み線の先で蒸気機関車が煙りを上げていた。
線路の両側には家も多く天気が良い事もあり、ほとんどの家で洗濯物が干されていた。
洗濯物が蒸気機関車の煙りにさらされるから大変だと私が言うと、父が話し始めた。
昔の列車のトイレは線路に落とすだけ。
駅で止まっているときは本当は使っちゃいけないんだけど、使っている奴もいた。
走っているときに用を足す事になるのだけど、そうすると列車のスピードもあるから飛散する。
汽車の煙り何てましで、飛散したものは洗濯物まで飛んでたよ。

私の子供の頃はまだこのタイプの列車はあり、トイレの穴から見え流れ去る錆び色の敷石を思い出した。

父は続けた。
でもみんな食べる事で精一杯だったから気にしちゃいなかった。

父の実家は国鉄の線路際にあった。
戦争で焼けた家の跡に、国鉄の操車場から拾ったのか、貨物用に使い古された今で言うコンテナをばらした板で家を立てたと聞いた。
いや、家というより小屋もしくはバラックといったほうが良いかもしれない。子供の頃、その不思議な家に私は良く通っていた。

その家はつい最近まで残っていて、町でも残した方が良いんじゃないかという話もあがったようだが、取り壊されて今はビルになってしまった。

私の親の世代は明らかに我々とは違う強さやしたたかさを持っている。
また、我々とは違う協調性ももっている。
妻の母は東京大空襲を隅田川に逃げた人だ。


そんなことを考えると、まだまだ頑張らないと駄目だなと思うのだ。
posted by とっちゃん at 00:59| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | MotoCross | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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