2008年03月20日

センセイの鞄 - 川上弘美

どうもお腹の調子がよくない。
急に寒くなったからなのか、冷えからお腹が下るのだ。
思いあたる事がある。
最近私は夕食を仕事の移動中にとることにしていた。そのお陰か少しづつお腹回りの肉が取れてきたけれど、それも一つの原因なのだろうか?それとも、年のせいだろうか。

トイレは満員だった。
仕方なく下のフロアに行く事にする。こんな時、私はいつも二つ下のフロアまで行く。
案の定空いていた。
一つ下よりも二つ下の方がフロア人数が少ないのだ。

用を済ませエレベーターホールに向かうと、丁度エレベーターが閉まるところだった。
しかし扉は閉まりきる前に再び開き、そこから女性が顔を出した。乗りますか?と言う表情でこちらを見ている。
気配を察知して開けてくれた様だ。
しかしエレベーターは下行きだ。私の乗るべきは上行きなので、軽く会釈し乗りませんよと手を振った。
彼女が軽く会釈すると扉が閉じた。

柔かな表情が素敵な女性だった。何階のひとなのだろう?
年は私より少し下だろうか。


夕方、会社に戻る準備を始める。

私は部下を幾人か従え客先で働いている。今のお客さんとはかれこれ一年だ。
お客さんのマネージャーと部下の一人に会社に戻る事を告げる。
外に出ると、街はすっかり暮れていた。
私はクリスマスイルミネーションに飾られた伝統ある古い作りのデパートの横を通りつつ、地下鉄の駅に向かった。

クリスマスイルミネーションが飾られたとき、私はこういった装飾は金融街には不釣り合いではないかと心配していた。
しかしあかりが灯されて見ると心配は無用だった。それは華やかさの中にも落ち着きがあり、モノトーンな辺りと調和していた。
悪くない。
当たり前だが今に始まった事ではない。ちゃんと考えられているのだ。

飾り付けられてから暫くすると、普段はあまり見ないカップルが多くなった。今、地下鉄の駅に向かう間にも幾組かすれ違う。
若いカップルが殆んどだが、時折私と同年代のカップルもいた。
それにしてもいくらクリスマスイルミネーションがあるとはいえ、ただ街を歩いていて楽しいのだろうか?
自分ならどうだろう。
クリスマスイルミネーションがあったところで、若い自分は多分ただ街を歩くだけなんてしないだろう。
私はとりわけそういう事が苦手だったのだ。
女性の気持ちを汲めない男だった。
でも、今はわかる気がする。
これが歳をとったという事なのだろうか?

何れにせよもう私には関係ない事だ。わかったところで、意味がないじゃないか。
世代交代。
そういう事はもう息子達に任せればいいのだ。

私はぼんやりとそんなことを考えながら、クリスマスイルミネーションのなか、狭い階段を降りて改札に向かった。


それなりに年をとり会社の古株に成りつつある私は、経営者から仕事に対してもう一歩足を踏み込めと言われている。
のほほんと過ごしていると下から抜かれるぞ、とも。自分のポジションを自分で固め始めろと言うのだ。具体的に。

これが毎夜現場から離れ、会社に戻っている理由だ。
今ではこの移動は習慣となり、合わせて始めた移動時の夕食も習慣となっている。
規則正しい食事になったお陰か、今、体調はとても良い。

-----

会社は地下鉄を二つ乗り継いだ山の手にある。旧街道が交差するこの辺りは、古いものと新しいものがまざりあい独特の雰囲気を持っている。
古い大学がある事もスパイスになっているようだ。

駅を降りると、私は会社とは違う方向に歩き始めた。

夕食はできるだけカウンターのある定食屋でとることにしている。
その方が気楽だし、待っている間マスターの仕事ぶりを見る事ができるからだ。
プロの仕事は見ていて楽しい。

その日は洋食にした。
店に入ると席は一つしか空いていなかったが、私は迷わずそこに座った。
カウンターに肘を着くと、いつものようにジャズピアノの音が私を迎えてくれた。

マスターはジャズピアノが好だ。拘りがあるようで1960年から1970年前半のものばかりかけるのだが、好みが私と似ている。
かかるのはたいていエバンスかジャレットだが、ごくまれに小曽根真がかかった。しかし彼のピアノは元気で明るすぎる。この店にはアンマッチだ。
合うのは間違いなくエバンス。ジャレットも良いのだが彼は唸り過ぎだ。
どうにかならないのだろうか?

この店に来て何度目かに、私はある事に気がついた。それはカウンターの中の方がカウンターの外よりも音が良いという事だ。
ある日マスターがどうしても手が離せない時に私が酷くむせこんでしまった事があった。
多分胡椒か何かが、丁度その『センサー』にヒットしたのだ。
悪い事にその日は暑い日で、私はマスターの出した水を既に飲み干していた。
私はどうしようもなく水が飲みたくなりカウンターに勝手に入り水を飲んだ。
マスターは『悪いね』と言ったが、落ち着きを取り戻したあと、それに返した私の言葉は『良い音ですね』だった。
偶然か狙ってか、カウンターの中で聞く音は素晴らしかった。

ジャズスタンダードのレコードにはカフェやバーで録音されたものが少なくない。そして多くの場合それらはちゃんとしたライブやスタジオテイクよりも臨場感があり印象に残る演奏となる。
『良い音ですね』と言った時、マスターはいたずらっぽくにやりと笑った。
恐らくマスターはスタジオテイクに自分の店というスパイスを効かせて楽しんでいるのだろう。

オムライスを注文する。
この店のオムライスはデミグラスソースがなかなか美味しい。卵の具合も然り、大変宜しい。
でもこのオムライスにはもうひと工夫されていた。
それはオムライス自体への工夫ではなく、システムとしての粋な工夫。そしてそれがデミグラスソースをより一層印象つけていた。

カレーもそうだが、ご飯に何かをかける料理の場合、食べる時にご飯との配分を間違えるとご飯が多く残り、あとで苦戦する事がある。
しかしここではその心配はない。デミグラスソースが足りなくなっても『ソース下さい』と言えば熱いデミグラスソースをかけてくれるのだ。
初めてそれを知りソースをかけてもらった時、平静を装いってはいたが内心は子供の様にはしゃいだ。その時マスターは笑っていた。恐らく平静は装えていなかったのだろう。

そんな安心感からか、その日も私はソースが足りなくなってしまった。そして『またやってしまった』と心のなかで呟いた。
しかし反省を意味する言葉とは裏腹に、心は既に期待で一杯だ。
そう、『ソース下さい』と言えばよいのだから。

マスターは忙しい。
そして忙しいマスターの動きの切れ目を狙って『ソース下さい』と言うのはなかなか難しい。
お客はみな判っていて、決して無理にはお願いしない。
マスターのリズム、いや店のリズムを壊さぬよう注文する。
この一体感がまたこの店の魅力なのだ。

注意深くタイミングを見計らう。今だと思い『ソース下さい』と言うと、隣のお客も同時に同じ事を言った。驚いて隣を見ると隣も驚いてこちらを見ている。
目があうと同時にどちらも『どうも』と言う笑い顔になる。
柔かな表情が素敵な女性だった。しかしカウンターに女性ひとりとはめずらしい。
年は私より少し下だろうか。

私は何となく優しい気持ちとなり、マスターのデミグラスソースを待った。しかし、頭の中に小さな引っ掛かりを覚えた。
ほどなくソースパンを持ってマスターがやってきた。

厨房は狭く真っ直ぐには歩けないのだが、ソースパンはいつも真っ直ぐ進んでくる。ソースパンに遅れる様に湯気が揺れる。

一つ問題があった。
ソースパンは真っ直ぐだが、マスターはくねくねとやって来るのだ。
マスターは真面目にそうしているのだが、かなりコミカルでもあるので最初は笑いそうになった。常連はこれを見て笑わないが、ピギナーは大抵反応してしまう。
気取ってすかしていてもバレてしまたうことになる。
最近私はマスターの狙いなのだと思っているのだが、実際どうなのだろう?

マスターはレディファースト、お隣のお皿にデミグラスソースをかけた。
続いて私のお皿にもデミグラスソースがかけられた。湯気が昇り香りが立ち込める。とても得した気分だ。

頭のなかの引っ掛かりがデミグラスソースの香りに負けて消えかけたころ、『あのう』と声が聞こえた。
声の主の方を向いた時、頭のなかの引っ掛かりの理由が判った。
隣の女性はエレベーターの女性だった。
彼女は『偶然ですね』と柔らかく上品に笑った。しかも熱々のデミグラスソースをタップリ絡めたライスの乗ったスプーンを持ったまま。
デミグラスソースからは柔らかく湯気が立ち登っていた。
その情景が彼女の柔かな表情、上品な仕草と絶妙なミスマッチとなり、私は一瞬固まった。
それを察したのか、少し間を置いて彼女は恥ずかしそうに少し慌てた。
それはとてもチャーミングだった。

食事は私の方が早く終わった。
しかしコーヒーが出てきたのは何故か彼女が食べ終わってからだった。
こういった展開の苦手な私は、食べ終わったら食後のコーヒーを飲んでさっと立ち去るつもりでいたのに、これは予定外だった。

マスターは『二つのコーヒー』を持ってきて我々の前に置いたのだ。
戻り際、マスターは明らかに私をみて微笑んだ。

お宅、お近くなんですか?
彼女が話かける。

フロアは何階か、なんで一人で食べているのか。話の流れから、彼女は旦那さんと共働きだと言う事が判った。
また彼女は予想に反して二つ年上だった。何かの話の流れでぽつりと独りごちたのだ。

我々は暫く会話を続けた。

彼女の受け答えは具体的だった。しかし私は曖昧にそれに応えた。
彼女は時折話し過ぎている自分に気が付き、その都度恥ずかしそうに少し慌てた。

店の外にでて冷たくなった風にあたると、だいぶ汗をかいているという事が判った。

彼女の歩き始めた方向を見定め、私は逆の道をとった。彼女は本来私の行くべき方向に歩き始めたのだ。
暫くの間をおいて、私も行くべき道に戻り事務所に向かった。

慌て方がチャーミングな彼女に好感をもってしまったのは明らかだった。

別れ際、うっすらと頬を染め彼女は
『それではまた』
と言った。
私はそれをどうとれば良いのだろう?

事務所のビルの一階にある本屋ののぼりが揺れるのが見えた。

『何を考えてる?』

思わず口に出た自問。

やれやれ、つい少し前に私には関係の無い事としたばかりじゃないか。

私は高揚した気持ちを落ち着かせるために本を読む事にした。


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これはフィクションですよフィクション!
全てフィクション!!

いやぁ何だか一年位前に書いた文章と似たような終わり方にわざとらしくしてみました^^
作文の練習にしては長すぎましたね。しかも中年願望入り。
その理由は下記の通り。
ケースはだいぶ違いますが触発されたってわけです。

久しぶりに本を買い読みました。
みなさん本読んでますか?

川上弘美の『センセイの鞄』、なかなか面白いですよ。
お勧めです。
なんでも谷崎潤一郎賞を捕った作品らしいです。

私はときどき何の気なしにランダムに本をチョイスするのだけど、恋愛小説だとは知らずに買い、第一節が終わっても恋愛小説とわ判からず、途中でなんとこれは(赤面)!、となったわけなので御座います。


あぁ恥ずかしい・・・



PS:クリスマスが出てくるように、この文はその頃書き始めたものです。
携帯オンリー。
電車の中で読み返しては、書き直し、途中放置期間もあったかな?
でももったいないので載せました。恥ずかしながら。

改めて読み返してみると、細かい描写が多すぎですよね。
ネタとして次の(?)展開にとっておけば良いのに書き込みすぎ。
そう、クドイ。
このくらいの展開なら、半分の文字量で良い気がする。

つづく・・・かな?
posted by とっちゃん at 11:28| ☁| Comment(3) | TrackBack(1) | MotoCross | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
感動しました。
でも40オヤジの話(文章)が「長い」っていうのは事実ですね。
年齢も職種も趣味も家族構成犬までほぼ同じなのでよく見てます。またいつか飲めるといいですね。
Posted by at 2008年03月20日 22:12
ぼ、僕はいやらしいこと想像してしまいました。
きっとこの次の展開があるに違いありません。
Posted by abio1963 at 2008年03月21日 00:39
40男には刺激が強すぎましたかね^^

でもオヤジが反応してくれたと言う事は、私が『センセイの鞄』を読んで影響を受けて書いたと言う事を考えると正に狙い通り!となりますね。

大変嬉しく思います。

続きがあるかは不明です^^
Posted by あびこ at 2008年03月21日 23:05
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センセイの鞄
Excerpt: センセイの鞄 (文春文庫) 作者: 川上弘美 出版社/メーカー: 文藝春秋 発売日: 2004/09/03 メディア: 文庫 ツキコさんとセンセイの恋愛小説。おもしろかったです。ほんわかした雰囲気。..
Weblog: モコ日記。
Tracked: 2008-03-31 20:17
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